佐藤冴香は日本の女子シングルス選手。
 25歳、左利き、170cm、仙台出身。
 直近の世界ランキング(2016/12/08)は14位。
 2016年全日本総合WS優勝。
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Badminton Unlimited 第146回所収。 

微妙に日本語が聞き取れないところがあって悔しいです。

[要約]
東京でのインタビュー。
佐藤冴香にケガから復帰した経緯と、厳しい女子シングルス界の競争を勝ち抜きたいという意気込みについて聞いた。

・2016年の全英優勝者でリオ五輪銅メダリストの奥原希望や2度の世界ジュニアチャンピオンで最近韓国オープン(SS)で優勝した山口茜はすでにお馴染みだ。
・そのほかにも日本の女子シングルスを引っ張る選手は多く、その一人が佐藤冴香である。
・2008年、17歳で世界ジュニアに優勝し注目を浴びた。

佐藤冴香
「・ナショナルチームに入れると思ってなかったので選ばれて最初はびっくりした。」

・シニアレベルの国際試合に出場し始め、翌年にはインターナショナルでのタイトルを手にした。
・しかし五輪という舞台で膝を負傷し耐えなくてはならなかった。
・2012年のロンドン五輪での負傷は厳しい復帰には1年以上掛かった。

佐藤冴香
「・復帰して試合に出るようになって自分のプレースタイルでは前のように上手く行かなかったときは、ちょっともうダメなのかなと思ったときもあった。」

・しかし「ファイター」冴香は戦い続けた。

佐藤冴香
「・早くみんなに追いつきたいという気持ちがあった。
・以前はメダルを取るような中国選手に追いつきたいと思っていたが、今は状況は変わっていて自分にもチャンスはあると思うし、トップ10の選手はみんな大差は無いと思う。
・リオ五輪も誰が勝ってもおかしくないというオリンピックだった。」

・オリンピックで不運なケガをするまでは佐藤は着実に世界ランキングを上げていた。
・2009年ニュージーランドオープン(GP)優勝。
・2010年インドネシアオープン(SSP)で準優勝。
・2011年世界ランクが15位まで上昇し日本人女子シングルスの一番手になった。
・安定した強さでメジャーな大会で上位に入り続け、2012年ロンドン・オリンピックに日本からは唯一の女子シングルス選手として出場することができた。

佐藤冴香
「・ロンドン五輪に出られたのはそこまでの4年間頑張ってきたからだと思うが、正直本当に出られるとは思っていなかった。
・応援してくれた方のために何としてでも行きたいと思っていたので、行けると分かった時はほんとうに嬉しかった。」

・しかしロンドン五輪はヒザの酷い負傷のため悲しい結果に終わってしまった。
・準々決勝のティネ・バウン(デンマーク)戦は第1ゲーム14-10でリードしていたが、無理な体勢で返球したときの着地で膝をヒネってしまい、痛みを我慢して戦い続けたものの、15-14で諦めなければならなかった。
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佐藤冴香
「・こんなところでケガでは終われないという気持ちは凄くあったし、このために4年間頑張ってきたのに、自分のベストを出せないまま終わるというのは正直悔しかったので、数分であってもできるだけ長くプレーしたかった。
・ケガは前十字靭帯断裂と側面の靭帯も負傷してしまった(※内側側副靱帯の損傷)。
・復帰までは1年とちょっと掛かった。」
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・周囲からも以前のような状態に戻れるか疑問視され、リハビリの期間はつらいものだったが、家族とファンの励ましやサポートで試練のときを乗り越えることができた。

佐藤冴香
「・ツイッターやフェイスブックで凄い応援してくださった方もいた。
・もう一度頑張ってオリンピックに出て下さいというメッセージをもらったりした。
・それで凄い勇気をもらって、もう1回頑張ろうと思った。」

・負傷の前には16位だったが 、一からやり直さなくてはならなかった。
・ランク200位から復帰するにはプレースタイルも変えなくてはならなかった。

佐藤冴香
「・ケガして以前のように体が動かなくなって以前の攻撃的なプレースタイルではもうダメかなと思った。
・今までレシーブがあまり得意ではなかったので、そこからレシーブを強化するようになって、つないでつないでチャンスが来た時に打てるようなプレースタイルになって来た。」
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・努力は実を結び2014年スコティッシュオープン(GP)、2015年には韓国マスターズ(GPG)優勝。
・好成績によって日本代表にも復帰しリオ五輪出場の芽も出てきた。

佐藤冴香
「・ナショナルチームに入るにはまずは日本での試合でとてもよい成績を収めること。
・またナショナルに入っていなかった時は海外の試合に自費参加して、そこで良い成績を残すことという2つを考えていた。
・やっぱりリオ五輪に出たいという気持ちが強かったので絶対勝ってやるんだという気持ちがあった。」

・佐藤にも勢いはあったものの日本からは奥原・山口の若手2人が上位を占めていた。
・五輪には最大で1国から2人までしか出られないため、3番手で五輪レースを終えた佐藤はリオ五輪には出ることはできなかった。
・世界の女子シングルス界はではより高い能力が要求されるようになっている上に、日本人選手同士の競争にも勝たなくてはならないが、佐藤は夢を諦めていない。

佐藤冴香
「・東京オリンピックは30歳の年になるので出られるかは分からないが、今回出られなかったのでまた出たいという気持ちはある。
・今回奥原選手が銅メダルを獲得したので、日本人選手はそれ以上の結果を目標にしている。
・自分もそこを目指して頑張りたい。」

動画

2015年 韓国マスターズ[GPG]
決勝 vs スン・ユ(中国)


2016年 全日本総合
決勝 vs山口茜